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ロシア・ボルガ河クルーズ(13):モスクワ市民とダーチャ(別荘)

クルーズでは時折、河の両岸に小さな小屋とこじんまりした畑を数多くみかけた。あのダーチャ(別荘)である。ソ連邦の時代、モスクワ、ペテルブルク、その他の都市の市民は食糧難におちいった。政府はこれを解消するため、一家族あたり600m2の土地を郊外に貸与し、家庭菜園による半自給自足を推奨した。

Cimg0174_2 実際には、各人が所属する職業集団を経て分割、共同で水や電気をひいた。そして、市民は小さな小屋を建て、金曜日の夜から泊り込みで畑仕事にいそしんだ。主食であるじゃがいもを中心に、キャベツ、にんじん、きゅうり、青ねぎなどを育て、食料を確保した。

ソ連邦崩壊後、食糧難は徐々に解消され、市民の暮らしは向上した。ダーチャは手数料1,000ドルで市民に譲渡された。ちなみに、土地税は年間50ドルである。人々は、冬でも滞在できるようなりっぱな別荘に立て直すようになった。家庭菜園も自給自足の域から脱し、趣味として楽しむようになった。週末に別荘を訪れ、自然の中で生活を謳歌しているようである。

船がモスクワに近づくにしたがって、川の両岸にこれらの別荘が数多く点在し、川べりでつりを楽しむ人もいた。休日の生活を楽しむ質は、日本人よりはるかに高そうである。

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ロシア・ボルガ河クルーズ(12):モスクワ市民のくらし

モスクワ市民はシャイで見知りをするが、真面目で気の良さそうな人たちのようだ。かれらのくらしを断片的に紹介する。

Cimg0443 モスクワは中心部から30kmまで郊外が広がっており、標準的なアパートは3部屋で70m22009年まで手続きすることにより100ドルの手数料で個人の所有となる。全世帯が住居を所有する勘定になる。

市民の平均給料は月20,000ルーブル(10万円)。所得の格差は15倍あり、石油やガス会社の給料が高い。教育関係者や公務員の平均給料は月6,000ルーブル(3万円)、ほとんどが共働きである。退職は男60歳、女55歳、年金は月4,000ルーブル(2万円)、生活ができないためパートなどで働き続ける。人気のある職業はコンピューター、マネジメント、銀行などである。

物価は、ガソリンがリッター25ルーブル(125)と収入を考えたら決して安くはない。しかし、アルコール類は安く、スーパーでのビール500ml缶は25-30ルーブル(125-150)

Cimg0465 自由経済によって海外への旅行が自由となり、人気の海外観光スポットはトルコ、ギリシャ、エジプトである。トルコの旅は格安で、一人10日間で、飛行機とホテル込みで700ドル。ちなみに、同条件では国内の黒海の旅が1000ドルである。

学校制度は6歳で入学、小中学9年間、その後大学5年間、医大6年間、専門学校などの選択肢がある。大学の90%が国立である。

現体制を好ましいと思っている人は40%で、特に若者の支持が高いようである。共産党時代を好ましいと思っているのは20%で、概して苦しい年金生活者にその傾向が強い。エリツィン時代の支持率は2%と低い。これは、失業率が異常に高かった為と思われている。また、スターリン時代の支持率は5%である。

Cimg0457 モスクワの道路のインフラ整備は増える車に追いつかず、朝夕の通勤時間帯を中心に常に渋滞している。特にダーチャ(別荘)帰りの月曜の朝と、ダーチャ行きの金曜の夕方がひどい。駐車場は不足しており、路上駐車は常態化している。

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ロシア・ボルガ河クルーズ(11):ロシアの首都モスクワ

Cimg0414_2 船は125kmのモスクワ運河を経て、最終目的地モスクワに到着する。市内観光は2日半にわたってクレムリンの内外を中心に行われた。赤の広場ではレーニン廟、それに隣接する聖ワシリー寺院、クレムリン内では大クレムリン宮殿、歴代ロシア皇帝の戴冠式が行われたウスペンスキー大聖堂、歴代皇帝の墓所となっているアルハンゲルスキー聖堂、ロシアの歴史を物語る宝物が展示されている武器庫、ソ連共産党大会や中央委員総会に用いられたクレムリン大会宮殿などなどである。クレムリン大会宮殿はアルミと大理石で造られた近代デザインの建物で、周囲の歴史的建造物との調和に欠けていた。

クレムリンを離れては、ロシアの美術の名作が10万点も収蔵されているトレチャコフ美術館、ショッピング街のアルバータ通り、繁華街である新アルバータ通りなども訪れた。

Cimg0439_2 展望台から眺望すると、1950年前後に建てられた7つの高層建物がソ連邦の威容を誇示するかのように点在してそびえたっていた。それぞれが外務省、モスクワ大学、ホテル、高級官僚のマンションなどに使用されているとのことである。

ソ連邦時代の中層アパート(コンクリートパネル製)が市民のために数多く建てられており、ロシア時代の建造物と混在し、奇妙な調和がとれていた。

広い公園が市内のあちこちにあり、いくつかを散歩した。何匹かの野良犬がうろついていた。ソ連邦崩壊前に市民の暮らしは苦しく、一部の市民が捨てた犬が野良犬Cimg0567_2 になったとのことである。市当局によって野良犬がりが行われているが、一掃とはいかないようである。

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ロシア・ボルガ河クルーズ(10):フレスコ画の聖ドミトリー教会

Cimg0300_2 船はボルガ河が直角に曲がる地にある町ウグリッチ(曲がり角の町)に立ち寄った。1148年に建設され、1218年にはロストフ公国の首都になった。イワン雷帝の長男ドミトリーはウグリッチに幽閉、暗殺され、短い生涯を閉じている。1591年、その地にドミトリー教会が建てられ、内部には王子の生涯をテーマにしたフレスコ画が描かれた。

前回のキリロベロジェンスキー修道院でも述べたが、ロシア革命後の社会主義体制の時代には宗教が禁じられ、ドミトリー教会は干草小屋として長く使われた。ソ連邦崩壊後に教会は再開され、フレスコ画やイコン画は修復され、一般に公開されるようになった。

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今では多くの観光客が訪れ、船着場から教会に至る沿道には露天のみやげもの店が50以上も並び、売り込みに余念がなかった。数回前に紹介したマンドローガのテーマパークとは違った、市民レベルでの市場経済の芽吹きを感じた。

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ロシア・ボルガ河クルーズ(9):ロシア最大級のキリロベロジェンスキー修道院

Cimg0262 船は水門を6つ越えベロテ湖に入り、小さな町ゴリツイに立ち寄った。「小さな丘の多い所」を意味する町ゴリツイには、1397年創立のキリロベジェンスキー修道院がある。この修道院には、文化的にも歴史的にも価値の高い宗教画イコンが数多く残され展示されていた。

ロシアでは、社会主義国家体制の時代には宗教が禁じられ、ロシア正教会が閉じられていた。この修道院も使用が禁じられ、兵舎に供されていたとのことである。しかし、主要なイコン画は別の場所に保管され、1991年のソ連邦崩壊後、教会での礼拝は復活し、イコン画が再び日の目を見るようになった。

Cimg0274_2 ロシアの文化的側面が一時的に停滞した時代であったことを思い出させる。

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