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台湾の旅(5):農業産業&おわりに

農業は依然として盛んである。熱帯や亜熱帯の野菜や果物が豊富で、その種類は多岐にわたる。例えば、トマトは2,000種類もあるとのことである。スイカは川原で1月に作付けがおこなわれ、夏の前に収穫される。台風の被害をさける生活の知恵である。

むかしはサトウキビが大々的に栽培されていたが、国際的なコスト競争力がなくなり、現在は国有地で若干作付けされている程度である。米は二毛作である。三毛作も可能であるが、それほどの需要が見込めず、現在はおこなわれていない。

経済価値の向上を目指し、養殖産業も盛んである。わに、かえる、うなぎ、車えび、アヒル、ダチョウなどなどである。高品質との評価は高いが、中国の追い上げでコスト競争力を失いつつある。

Cimg0127 おわりに

高さ30mの弥勒像(布袋様)で有名な仏教寺院の一角に戦没者慰霊碑ある。ここで一人のおばあさんに会った。当年とって88歳、きれいで自然な日本語を話す。兄弟が戦争でなくなったそうである。毎日のように慰霊碑の周りを掃除し、花を生けている。昭和初期の日本の歌謡曲を歌ってくれた。日本が統治していた事実の一端がまだ人々の中に生きているのである。

グルメの旅と称して安易に出かけた台湾の旅であったが、日本との歴史的なかかわりを考えるきっかけとなる旅でもあった。

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台湾の旅(4):インフラとくらし

台湾の面積は日本の十分の一、九州より若干小さく、一周1,200kmの島国である。平野部が多い西側に人口の80%がくらす。東側は四分の三が山岳地帯で、3,000m級の峰が22個ある。

Cimg0165 政治、経済の中心は台北で、人口300万人。2番目の都市は、南に位置する高雄で人口150万人。工業や港町として栄えている。台中の人口は100万人。台南は75万人、総督府がおかれた昔の首都である。

台北の25km北東の基隆から高雄まで、総長373kmの高速道路が西の海側を南北にはしり、台湾経済を支える大動脈である。昨年には新幹線が開通し、人の動きがさらに活発化している。

台北や台中ではマンションや事務所ビルの高層建築が次々と建てられ、エネルギーに満ちた熱気がただよっている。高雄では地下鉄が開通したばかりで、台北では地下鉄工事の真っ盛り。1-2年のうちに、いくつかの路線が開通するそうである。

Cimg0129 しかしながら、失業率は4.7%と高めに推移し、半導体やエレクトロニクス産業では大幅な落ち込みがみられる。

台北市内では、バスや車はもちろんであるが、バイク(主にスクーター)が通勤の足として使われている。ちなみに、街中で見かける看板の汽車は自動車を機車はバイクを意味するようである。

物価は概して安く、日本の3分の一ほどであろうか。コンビニではビールが350ml缶で地元台湾ビールは25元(約75-80円)、オランダ・ハイネッケンの輸入ビールは45元(約150円)、キリン一番絞り115元(約360円)で売られている。レストランで飲むビールは地元台湾ビール600mlで100-150元(約330-500円)である。

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台湾の旅(3):治水事業に貢献した日本人

台中と台南の中間に位置する嘉義地区は、北緯2327分の北回帰線上にある。これより南は熱帯で、世界の半分以上は干ばつ地帯あるいは砂漠地帯と呼ばれる不毛の地である。

東京帝大土木科を卒業した八田與一氏は、台湾総督府土木局に勤務がきまり1910年に台北に着任する。8年後、嘉南平野の調査をはじめる。この調査に基づき、総督府はこの地区の灌漑工事を決定し、予算が国会を通過成立した。受益者の組合員とする組合が一定の拠出金を負担し、政府が補助金を拠出するという形で行われた。工費は台湾総督府の年間予算の半分という規模であった。八田與一氏は台湾総督府の技師から、組合という民間団体の技師に転じ、ダム建設と用水路工事の前線にたった。工事は1920年から10年で完成した。(司馬遼太郎「街道を行く、台湾」より抜粋)

Cimg0111 建設された用水路の長さは全長16,000キロにおよび、万里の長城2,700キロをはるかに凌駕する長さである。これにより、不毛の地が農耕地に転じた面積は台湾の総農耕地の六分の一を占めるに至り、現在でも台湾の主要な穀倉地帯である。

台湾農民の間では、八田與一氏の功績を知らない者はいないと言われるほどである。彼の功績をたたえ、夫婦が眠る墓のそばには彼の銅像が建てられている。

台湾での社会インフレ整備における日本の貢献として、少し誇らしい気分である。

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